4月下旬に「キャビンアテンダントの美養学」という本を出版することができました。

今回はその内容についてお伝えしたいと思います。

内容からざっくりと大きく分けると自分史と対談とレシピです。

自分史はキャビンアテンダント=CAとして31年間やってきたことや病気になった母のこと、対談は「食と心と身体」のそれぞれのエキスパートの先生方に私自身が聞きたいことをお話していただいています。

CAとしての自分史は航空業界の歴史

学生時代に私が「なぜCAを目指したか」からが書かれていますが、改めて振り返って文字にしてみると、CAとしての自分史は激動の航空業界の歴史と重なりあったことがわかり、それぞれの時代をしみじみ懐かしく思いました。

ANAの国際線の始まり

今ANAは国際線はアメリカ・ヨーロッパ・アジアで54都市に就航し、2014年の5月に国際線の旅客数でJALを抜いて日本のトップとなりました。

日本のトップとなった時には、会社全体で感慨深くその事実をかみしめました。

ここまで来るには当然長い長い社員の努力があったからです。

私が入社したのは1985年でANAは国内線と国際線は近距離チャーターの運航で、国の政策で国際線はJAL、国内線はANAとJAS(当時はTDA)と棲み分けが決められていました。

しかし飛行機が身近な乗り物になるにしたがって、これまでの体制を見直しANAも定期国際線への進出が認められたのです。

自分の実感としても、それまでの機内サービスも例えば朝はスープ、昼はコーヒーなどと時間帯で決められていて、お客様に合わせて工夫することなどはあまり求められていませんでした。

それが国際線の計画が立てられていき「JALに追いつき追い越せ!」という勢いがありました。

当時はCAの所属基地も羽田ベースと伊丹ベースしかなかったので、新たに国際線専任の成田ベースの立ち上げがありました。

それに先立って管理職がそれぞれのCAの意向を聞き、先輩や同期が第一期として成田に異動しました。

私自身は国際線には興味があったものの、実家から通えていたのでその居心地のよさを手放す気にはなかなかなりませんでした。

「成田に行くことになりました」というCAたちがまぶしく誇らしかった一方で「ここで頑張ろう!」と伊丹所属で自分のチーフパーサーになる勉強や後輩の指導に燃えていました。

伊丹ー成田という路線に乗務すると、成田で時間があるので成田ベースのCAの事務所で待機することがありました。

羽田や伊丹の事務所はCAの人数も多く、ビルの中でしたが、成田の事務所はプレハブでできた簡易オフィスのような感じでした。

「こんな地味なところからANAの国際線がでているんだなぁ」と意外な気持ちでした。

立ち上げのメンバーたちは他のエアラインから訓練を受け、実フライトではお客様から学んで自分たちのサービスを組み立てていったのです。

目的地に到着してからも何時間も反省会を重ね次の便につなげていったと聞きました。

このメンバーの経験の積み重ねが脈々と今にまでつながっているのです。

まだまだベテランのCAの間では国際線立ち上げ第1期生に対しては畏敬の念があります。

 

そんなANACAとして学んだ、お客様を大切にする気持ちの表し方が日常生活にも活かせることがたくさんあって、美養学初級コースでお伝えしています。

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